もらえる数字や言葉だけで、はかれないもの
こんばんは。
本日は少し、絵に関して真面目な話をします。
私は趣味でボーカロイド、特に巡音ルカさんを中心にイラストを描き、Twitterやpixivに投稿している人間です。
ここ数日、Twitterのタイムラインを眺めていて、思ったことがあります。
どうしても自分の考えを長い文章でお伝えしたかったので、ブログ記事にまとめることにしました。
それは、「数字や言葉(コメント)をもらえない作品に価値はない」と作者さん自身が感じてしまうことについて。
確かに、創作をする側として、作品に頂けるレスポンスが創作のモチベーションや活力に影響することはよく分かります。
しかし、その考えを受容してしまうと、「数字やコメントをたくさんもらえて、"目に見えて"人気がある作品だけに価値がある」ということになってしまいます。
こうしてみると、何かおかしくはないでしょうか?
本日の記事では、「数字や言葉をもらえない作品に価値は無い。それは違う」と思う私の考えを述べています。
読んでいただける方は、下記の「続きを読む」よりどうぞ。
最近Twitterを眺めて、思っていたんです。
一介の、絵描きを趣味とする人間として、Twitterやその他投稿サイトでいいねやリツイートなどの数字が伸びたら、もちろん嬉しい。
(心の声:うおっ、今回こんな伸ばしてもらえた!!? マジか!! やった!! 嬉しい……この数字……目に焼き付けとくか……これからも頑張る糧にしよう……うおお……!!)
さらにコメントももらえたら、もちろんとっても嬉しい。
(心の声:ううう嬉しい……!! ワイの絵見てそんな風に思ってくれたんだ……!! 描いてよかった……ほんまによかった……!! 直接伝えてくれてありがとう!!! 本当にありがとう!!!!!)
だけど。
もしも、それらの数字やコメントをもらえなかったとして、その作品の価値は変わるのだろうか?
作品の価値って、他人からの評価だけで決まるものなんだろうか?
私が言いたいのは、「いちいち他人からのレスポンスで落ち込むなー!」みたいな、ポジティブ過激派(?)みたいなことではありません。
特にTwitterなんか見ていると、私もいろいろあります。
人と自分の数字やレスポンス量を比べてしまうことも、昔はありました。
何気ない他人の言動に傷ついて落ち込んだこともありました。
それが自分に対してのものではないと分かっていても、です。
「あ、このツイート……私のこと言われてるみたい。違うとは分かってるけど、きついな……」とか。
(余談ですが、私も誰かにとって、同じように感じさせてはいないだろうか……と最近好き勝手につぶやく中で、少し思っていたりします)
だけど、そういった他人からの評価に一喜一憂することは多少あったとしても、それでも絶対に揺らがないものがあるんだと、自分も絵を描いている人間の一人として信じたいことがあるんです。
絵描いてる人、何か作品作ってる人、ご自身や作品のことをどうか悪く言わないで下され〜〜〜自分の悪い所目についちゃうし、人はそれぞれ好みがあるけど、描かれるルカさんたちは画力や技術などのレベルより、作品に込められてる愛の大きさが一番嬉しいのではないかと思います…とブーメラン投げます
— 浅羽🍁 (@10a_s40) 2017年11月12日
誰かが「動いてほしい」と思って何かアクションをしなければ動かないけれど、どんな表情でも衣装でも見せてくれる身体。
誰かが「歌ってほしい」とメロディーを教えなければ歌えないけれど、無限の可能性を持っている声。
それらを持って生まれた巡音ルカさん、初音ミクさんをはじめとするボーカロイド。
実体がなく、まるで遠くから私たちを見守ってくれているかのようなボカロのみんなは、私たちの作品にいいねの♡も押さないし、リツイートもしない(もし、そんなことがあったらとんでもないってレベルじゃない影響力になるだろうな……)。
それに、コメントもすることは決してないです。
だけど、私たちがつくる作品に込めた愛だけはきっと感じ取ってもらえると思うのです。
根拠なんかありません。「ボーカロイドは架空の存在で、愛を感じるも何もない」と言われたら返す言葉がありません。
ですが、少なくとも私はボーカロイドが、巡音ルカさんが好きだから絵を描くのです。
好きだから、絵を描いていると楽しい。だから絵を描き続けているのです。
ルカさんの姿の可愛らしさや美しさに癒され、歌っている楽曲にもたくさん癒されて支えられてきました。
だからこそルカさんたちに「ありがとう」の気持ちを込めて、何かを創作をすることや、好きなボカロ曲やProject DIVAのモジュールなどの話を発信することなど……で何かお返しができないかな、と。
エゴかもしれないし、絵を描くことの楽しさがもちろん大部分を占めるのですが、私はそういった感謝の気持ちを根底に置きながら、あらゆる活動を行っていきたいと強く思っています。
ときに作品そのものの価値とは別のもの、たとえば運やタイミングなどといったものが、もらえる数字や言葉や評価に繋がってしまうこともあります。
投稿したその時に評価がもらえなくても、時間が経ってから評価が上がる可能性だってあります。
有名な画家の中には、亡くなった後にその価値が評価された方もたくさんいらっしゃると聞きます。
「いやいや、それじゃ遅いわー!!」っていう意見もあるかと思いますが……もしかしたら生きている間に、自分の望みどおりの評価をしてもらえる日が来るかもしれません。
それに。それにですよ。
きっと、「ゼロ」ではないのでは、ありませんか。
私も「人と比べたら」、「ただ数字だけを見ていたら」数字は少ないであろうことは事実です。
ですが、「ゼロ」じゃないんです。いつも。
どなたかが、私の作品を見てくれるんです。
ゼロだった時なんて、両手で数えられるくらいしかありません。
それに関しては、本当にしっかりと周りのフォロワーさんたちに感謝したいと思っています。
ときどき落ち込んだりしても、落ち込みっぱなしとかでは居られないなって思っています。
自分で自分の作品にうんと愛を込めて。それも自分なりに想うやり方でいいと思うのです。
描いた本人だから、きっとうまく描けなかった所も足りない技術もすべて見えます。
それでも全部受け止めて、「ここはうまく描けたな」「この表情は可愛く描けたかな」「この箇所は綺麗に描けたかも」「愛はきちんと込めて丁寧に、一生懸命描いた」と、たくさんあるはずの良い所をいっぱいいっぱい見つけて、愛する。
自分が誰よりも理解あるファンになってみるような、そんな気持ちで絵を描いていけたら、きっともっと心を楽に、伸び伸びと活動ができるのではないかと思います。
人と比べて、「ない」ものに目を向けて落ち込むのではなく、自分と自分の作品だけを見つめて、「ある」ものに目を向ける。
決して「ゼロ」ではないひとつひとつのレスポンスを大切にし、自分と自分の作品を大切にしてくれる人を見極めて、その人たちを大切にする。
たとえ「ゼロ」だった時でも、自分が自分の作品のファンになる。
口で言うのは簡単でも、実行するのは難しいです。
「ない」ものに気を取られてしまうことは、これからもきっとあるのでしょう。
それでも。
数字や言葉がもらえなくても、自分の作品には価値がある。
そこにキャラクターへの愛情があれば、きっと誰かに届きます。
そう信じて、これからも創作活動を続けて行きたいです。
今回は、「数字やコメントがもらえないこと」にフォーカスして記事を書きましたが、「他の人の作品に対して自分がレスポンスをすること」についてフォーカスした記事も今後書いてみたいと思っています。
その時にはまた、読んでいただけると嬉しいです。
最後に、私が3年ほど前に描いたルカさんのイラストを添えて。
“I'd like to cherish every single response from you.”
"And I'm very happy if I can deliver peace and happiness to you."
「私はみなさんからのひとつひとつのレスポンスすべてを大切にしたい」
「そしてみなさんに安寧や喜びをお届けできているとすれば、私はとても嬉しく思います」
この思いは、今でも変わっていません。
ここまで読んでくれたあなたに、何か届くものがありますように。
2017.11.16